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東京地方裁判所 昭和45年(合わ)191号 判決 1977年3月01日

本籍 長野県小諸市丙二〇九番地二

住居 長野県松本市蟻ヶ崎四丁目八八七番地

蟻ヶ崎マンション四〇一号室

会社員 前田祐一

昭和二二年三月一六日生

右の者に対する強盗致傷、国外移送略取、同移送、監禁被告事件につき、当裁判所は検察官古屋亀鶴出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役一〇年に処する。

未決勾留日数中九〇〇日を右刑に算入する。

訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

(被告人の経歴)

被告人は、長野県松本市内において、父前田治雄、母郁代の長男として出生し、同市内の小学校、中学校を経て、昭和四〇年三月長野県立松本深志高等学校を卒業後、同年四月中央大学第一商学部経営学科に入学したが、まもなく、学費値上げ問題、追再試験料金値上げ問題等を通じ同大学学生自治会の活動に心をひかれ、同年秋以降には、社会主義学生同盟に所属して、日韓条約反対のデモ行進、同大学の学生会館問題をめぐるストライキに積極的に参加するようになり、その後も、大学設置基準反対デモ、第一次・第二次羽田闘争、中央大学学費値上げ反対闘争、成田闘争などに身を投じ、その間昭和四一年六月から昭和四二年六月まで、同大学昼間部自治会委員長をつとめたが、昭和四三年三月ころ再建された共産主義者同盟に加盟し、同年一〇月二一日の国際反戦デーに行われたいわゆる防衛庁闘争には、指揮者としてこれを指導し、その結果、同年一一月一三日兇器準備結集等の罪名で逮捕、勾留されるに至った。被告人は、昭和四四年六月一二日右事件につき保釈を許されて出所したが、当時、共産主義者同盟内には、同年秋の闘争方針をめぐり意見が対立し、塩見孝也を指導者とする関西の者らを中心に、武装蜂起・臨時革命政府樹立などを主張し赤軍派を結成しようとする分派闘争の動きがあり、同年七月六日の共産主義者同盟の他の派閥との衝突によりその対立は決定的なものとなり、同年八月下旬、共産主義者同盟の第九回大会において、塩見孝也を含む赤軍派の者らの除名が決議され、他方、赤軍派も、そのころ、神奈川県三浦市城ヶ島のユースホステルで総会を開き、塩見孝也、田宮高麿、高原浩之および八木健彦ら七名が政治局員に指名され、塩見孝也が政治局議長、八木健彦が副議長に就任して組織編成を行い、共産主義者同盟赤軍派を正式に結成した。被告人は、共産主義者同盟のボルシェビキ派に加入していたが、同年八月ころ、のちに「赤軍No.4」として赤軍派から発刊された塩見孝也および八木健彦執筆にかかる論文のガリ版刷りを入手し、同年九月ころに、右論文の第四章「過渡期世界―その歴史的展開」を執筆した八木健彦らと話合い、同人らの主張に共鳴して、同年一〇月二〇日ころ赤軍派に加わり、以後、同派と行動を共にするに至った。

(本件犯行に至る経緯)

共産主義者同盟赤軍派は、昭和四四年秋において、前段階武装蜂起により革命を行う方針のもとに、山梨県塩山市の大菩薩峠で武装訓練を行って首相官邸を襲撃する計画を立てていたが、同年一一月五日、右大菩薩峠において、八木健彦をはじめ多数の構成員が兇器準備集合罪により逮捕され、塩見孝也や被告人を含む活動家が同事件に関連して捜査当局からその所在を追及されるに及び、大きな痛手を蒙り、塩見孝也らは、同派の政治理論を再検討のうえ、同派の目標とする世界党建設・世界同時革命の遂行のためには、世界の労働者国家を世界革命の根拠地国家に転化して政治的・軍事的基地とし、そこから兵器、軍隊等を日本国内の赤軍派に送り込んで、武装蜂起を敢行しなければならないと考えるに至った。そこで、政治局員のうち当時残存していた塩見孝也、田宮高麿および高原浩之の三名の間で政治局会議を開催して昭和四五年の闘争方針を検討し、その結論に従い、同年一月七日ころから翌八日ころにかけて、東京都千代田区永田町二丁目一四番三号所在の赤坂東急ホテルの一室において、同派の中央委員会を開き、右会議には、塩見孝也、田宮高麿および高原浩之の政治局員をはじめ、被告人、小西隆裕、上原敦男、川島宏、森清髙、物江克男および佐藤公彦らを含む約一五名が出席した。その席上、政治局議長の塩見孝也から同年の闘争方針につき説明がなされたが、その要旨は、同年秋の前段階武装蜂起を目指して、同年六月の日米安全保障条約の改定まではデモ行進等を中心とし、革命戦線の結成拡大のためのオルグ活動、集会を全国各地で行い、それと同時に、国外に国際根拠地を建設することとし、その要員を同年二月ころに三〇名、三月ころに一〇〇名、四月ないし五月ころに一〇〇名づつ海外に派遣し、軍事訓練を経たのち帰国させて、右武装蜂起に参加させるというものであり、これに伴い、従来の組織を改めて、国際根拠地の設定関係を担当する国際委員会と、国内の組織活動を行う日本委員会とに分け、日本委員会は、高原浩之が統轄し、同年三月末ころの革命戦線の全国大会に向けての各地におけるオルグ活動や集会を担当することとなり、他方、国際委員会は塩見孝也が自ら統轄し、同委員会のもとに、調査委員会を置き、田宮高麿、小西隆裕、上原敦男および森清髙らが中心となって、国際根拠地設定のための情報入手、資料収集等を行い、また、長征軍を設置し、将来その隊員の中から活動の成果等をみて国際根拠地建設のための国外派遣要員を選定するが、当面は、被告人を隊長として、日本委員会の下部機構である革命戦線の結成を目標に全国的規模においてオルグ活動に従事させ、その隊員として、他の事件により逮捕状の出ていると思われる者、昭和四四年一月に発生したいわゆる東大事件により逮捕・勾留されて保釈になった者などを充てることとし、吉田金太郎、赤木志郎、岡本武、若林盛亮、安部公博、田中義三、山田敏夫、佐藤公彦および劉世明らが予定された。なお、国際根拠地設定の対象となる国として当時キューバが想定されていたが、要員派遣の方法などが関連して、結論は出ず、調査委員会の今後の調査活動に俟つこととなった。

昭和四五年一月一〇日ころ、東京都目黒区上目黒三丁目二二番一三号所在の神戸アパート山本豊方の通称中目黒のアジトにおいて、日本委員会のもとに置かれた中央人民組織委員会の地区代表者会議が開かれ、被告人は、田宮高麿、高原浩之、上原敦男、川島宏、森清髙および物江克男ら約二〇名とともに出席したが、席上、田宮高麿から、前記中央委員会において決定された同年の闘争方針等につき説明があったのち、それまで中央人民組織委員会の責任者をしていた田宮高麿が今後国際委員会の仕事に専念するため、同人から高原浩之に対しその事務の引継ぎがなされた。また、同月一〇日すぎころ、同都世田谷区赤堤五丁目四番六号所在の赤堤荘大崎巌方の通称世田谷のアジトにおいて、田宮高麿、小西隆裕、上原敦男および森清髙らが出席して調査委員会の会議を開き、席上、田宮高麿から、同年二月五日ころから同月一五日ころまでの間に国外に出る計画であるが、船でキューバに行くのは技術的に困難であるから、ハイジャックの方法で北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に行く予定であり、国外に行く者は、塩見孝也をはじめ、同委員会に所属する者も含まれることを発表し、その準備のために調査委員会の者において、北朝鮮についての地図その他の資料収集、ハイジャック敢行のための飛行場の調査、旅客機の構造・性能等の調査、拳銃等の武器の調達等をそれぞれ分担して行うことを決めた。その際、上原敦男および森清髙は、飛行場の調査を担当することとなり、田宮高麿から、各飛行場の見取図、宿泊場所、連絡場所に利用できる喫茶店の有無、航空機の内部の状況、とくに操縦室への出入り状況等について調べるようにとの指示を受け、同年一月二〇日すぎころ、千歳、米子、宇部の各空港に赴いて調査し、その結果を、田宮高麿および小西隆裕に報告した。

被告人および田宮高麿らは、同年一月中旬ころ、前記中央委員会において長征軍に予定されていた吉田金太郎、赤木志郎、岡本武、若林盛亮、安部公博、田中義三および山田敏夫らと個別的に会い、国際根拠地建設のために国外に行く予定の長征軍に加わるように説得し、その了承をとったのち、同月二〇日ころ、都内のホテルの一室において、被告人、赤木志郎、若林盛亮、山田敏夫、佐藤公彦、安部公博および岡本武らが出席して長征軍の会議を開き、被告人から各隊員に対し九州、北海道および関西各方面のオルグ担当者が指示された。被告人は、右会議で定められた分担に従い、同年一月二三、四日ころ、関西に赴き、同年二月七日開催の関西における赤軍派革命戦線の集会のためのオルグ活動に従事したのち、同年二月二三日に予定されていた京大革命戦線結成大会を目指してオルグ活動を行っていたところ、塩見孝也からの指示により、同月一九日ころ上京した。

被告人は、同都杉並区本天沼二丁目四三番一号所在の清風荘二階三号室の通称下井草のアジトに行き、同日および翌二〇日ころ、同所において、塩見孝也、小西隆裕および川島宏とともに、国際根拠地建設のために国外へ行く際に使用する拳銃、刀などの武器の強奪計画について相談した結果、これをアンタッチャブル作戦と名付け、まず、作家大藪春彦がガンマニアで拳銃やライフル銃を所持しているものと見込み、小西隆裕において大藪方およびその付近の様子を偵察し、その後、被告人において口実を設けて大藪方に入って、銃の有無を確かめることとし、銃の存在が確認できたならば大藪方を襲ってこれを強奪することを決定した。その後、上原敦男も右計画に加わることになり、同月二三日午後八時ころ、同都渋谷区神泉一六番一二号所在の和光パレス二階二〇四号室渋谷建築設計事務所において、被告人、小西隆裕、上原敦男および川島宏が集まり、小西隆裕から大藪方付近の状況の報告があった後、被告人が大藪方に行き拳銃等があるかどうかを確認することとなった。そこで、被告人は、同月二四日午後七時ころ、日大推理小説研究会の者であると詐称して、同都世田谷区松原町三丁目三番一八号の右大藪方を訪れ、面会を求めたが、同家の手伝い高橋ふみ子から、大藪春彦は現在来客中であり、また、近々外国旅行に出る予定であるので応接できない旨断わられて、やむなく引き揚げ、同日午後九時すぎころ、再び前記渋谷建築設計事務所に赴き、同所に参集した小西隆裕、上原敦男および川島宏に右事情を説明して不成功に終ったことを告げ、同人らと協議したところ、大藪春彦が不在になるのでは銃の所在が判明しないおそれがあるため右計画を中止することとしたが、その際、被告人や上原敦男から中央大学学生の足立隆一が暴力団と関係があり、同人を通じて武器を入手できるかもしれないとの意見が出され、その購入資金を獲得する方法について検討することとなった。被告人および小西隆裕は、同日ころ、同都世田谷区玉川等々力町六丁目一番一三号所在の吉田アパート二階佐々木紀子方に赴き、同所に居た塩見孝也および田宮高麿に対し、アンタッチャブル作戦についてのこれまでの経過を報告するとともに、武器購入資金獲得の方法につき話し合った結果、国際根拠地設定のためのフェニックス作戦に支障をきたさないような危険性の少ない方法で資金を入手することとし、郊外のスーパーマーケットなどを襲撃して強奪することを決め、これをマフィア作戦と称し、塩見孝也から、被告人に対し長征軍が右作戦を担当するように指示された。

被告人は、同月二五、六日ころ、同都北区東十条五丁目四番三号所在のスナック「フラワー」において足立隆一と落ち合ったのち、近くの同人の下宿先銀波荘に行き、同所において、日本刀および拳銃の調達方を依頼したが、その後、足立隆一との交渉は上原敦男に引き継がれ、上原敦男が前記「フラワー」で足立隆一と会い、すでに被告人の依頼に基づき極東組系の暴力団員田中祐三に日本刀の取得方を頼んでいた足立隆一から、拳銃は困難だが、日本刀ならば入手できる旨の返答を得た。

他方、被告人は、前記資金強奪計画(マフィア作戦)を遂行するため、同月二八日午後六時ころから、同都港区芝浦一丁目六番一号所在の芝浦会館において、そのころ全国各地のオルグ活動を終えて上京していた長征軍の隊員を集めて会議を開き、出席した被告人、小西隆裕、田中義三、岡本武、吉田金太郎、若林盛亮、赤木志郎、山田敏夫、佐藤公彦および劉世明の間で、フェニックス作戦のために海外へ行く旨の意思確認を行ったのち、被告人において、同作戦のための資金を非合法手段で集めることを説明し、そのための班編成を行い、岡本武、若林盛亮、山田敏夫および田中義三を被告人の隊(生田隊)に、吉田金太郎、赤木志郎、佐藤公彦および劉世明を小西の隊(大森隊)に入れ、郊外のスーパーマーケットなどを狙うこととなった。被告人の隊では、田中義三の提案により、同年三月一日ころ、被告人、田中義三、岡本武および若林盛亮が同都葛飾区青戸四丁目二二番一六号所在の青楓チェーンストアー青戸店の下見に行ったのち、同ストアーの売上金は閉店後、近距離の同区青戸五丁目三番一号にある本店に運搬されるものと考え、右運搬途中を襲ってモデルガンや登山ナイフで脅迫し、強奪することに決定し、被告人は、翌二日、若林盛亮および山田敏夫に命じて、東京都台東区上野所在の通称アメヤ横丁において、モデルガン一丁および登山ナイフ一丁等を購入させたうえ、岡本武、若林盛亮、山田敏夫のほか、田中義三に代わって被告人の隊に入った吉田金太郎を加え、同日および翌三日の両日にわたって、前記青楓チェーンストアー青戸店付近の喫茶店に集まって、交互に見張りに立って、売上金強奪の機会を狙ったが、売上金運搬の状況を確認することができなかったため、同月三日午後八時ころ中止を決め、全員同都大田区南馬込五丁目二番一〇号所在の長遠寺河原晨晴方に赴いて、相談の結果、右ストアーの売上金強奪計画を断念し、他の適当な箇所、方法について話し合った。一方、小西隆裕の隊も実行に至らなかった。

同日夜、被告人は、塩見孝也から電話で呼び出され、翌四日にかけて同都北区田端二二〇番地所在の喫茶店「ミナミ」等において、塩見孝也、田宮高麿、小西隆裕および上原敦男と落ち合って協議したが、その際、被告人が資金強奪作戦についてのこれまでの経過を報告するとともに、若林盛亮の友人が京都のキャバレーで働いているのでそこから金員を強奪できるかもしれず、また、山田敏夫の友人の父親が暴力団員であって同人から拳銃が手に入るかもしれない旨若林盛亮や山田敏夫から聞知した話をしたところ、塩見孝也から、検討してみるように指示された。また、上原敦男は、塩見孝也に対し前記足立隆一から拳銃の入手は難しいが、日本刀は可能性がある旨の報告をし、塩見孝也から資金として三〇万円を渡しておくから取得を急ぐようにいわれ、小西隆裕を介し、現金三〇万円を受領した。その席上、田宮高麿は、国際根拠地建設は断固として貫徹するが、合法的に国外に派遣することは困難であること、国際根拠地建設のためには、塩見孝也自身が行かなければ成功しない旨を強調し、塩見孝也も右意見に賛同した。

被告人は、塩見孝也の前記指示に従い、同月四日、同都品川区五反田一丁目一三番一三号所在の洋菓子店「ヴィクトリア」において、岡本武、若林盛亮、吉田金太郎および山田敏夫と落ち合い、拳銃調達のために札幌に赴く山田敏夫を除き、他の三名とともに京都市に赴き、翌五日および六日の両日にわたり、京都市中京区河原町三条下ル二筋目東入所在のジェンツクラブ「カジノ」付近に行き、偵察しながら、現金強奪の機会を窺っていたが、同クラブに勤めていた若林盛亮の友人はすでに退職していて店内の状況がわからなかったため諦め、右友人の所在を探し求めていたところ、同月一一日ころ、小西隆裕から、劉世明が逮捕されたので中止して上京せよとの連絡が入り、吉田金太郎とともに同月一二日上京した。なお、山田敏夫も、当にしていた友人の所在がわからず、拳銃の入手を断念して、同月一四日上京した。

他方、上原敦男は、高原浩之の指示を受けて行動を共にすることになった川島宏と、同月七日ころ、前記「フラワー」において、足立隆一および田中祐三と会ったのち、前記銀波荘に行き、同人らに現金三〇万円を渡し、一週間後に日本刀約一〇本の引渡しを受ける旨の約束を得、同月一二日、同都豊島区駒込二丁目三番四号所在の喫茶店「白鳥」において、上原敦男が、塩見孝也、田宮高麿、小西隆裕および小西隆裕の友人一名と会った際、右の経過を塩見孝也に報告した。

ところで、これまで日本委員会に所属して活動してきた物江克男は、同月七日ころ、国電大塚駅前の喫茶店において、小西隆裕から、関西に行った際に同志社大学学生で元航空自衛隊にいた小川という者に会って、国外に脱出する手段として、ハイジャックの可能性を確かめるため、旅客機の機種、航続距離、飛行場など航空機関係につき聞いて来てくれるように頼まれ、同月九日ころ、京都市内の同大学付近の喫茶店で、小川某に会って、キューバに行く場合、北朝鮮に行く場合、中国に行く場合、ソ連に行く場合などそれぞれについて説明を聞き、同月一二日、前記「白鳥」において、塩見孝也、田宮高麿、小西隆裕および上原敦男と会った際、小西隆裕にその調査結果を報告した。また、田宮高麿は、同月九日ころ、同都北区田端二九三番地所在の江本ビル五階八木秀和方において、塩見孝也に対し、国際根拠地建設のために要員を派遣する目的地および方法等について、これまで調査委員会において収集した資料等に基づき、旅客機をハイジャックして北朝鮮に行く計画であることおよび国外派遣要員が飛行機に乗り込むまでの具体的順序、機内におけるパイロット・スチュワーデス・旅客の制圧の時期、爆弾・刀およびロープなどを使用した制圧方法、北朝鮮に向かわせる手順等に分け、詳細に説明を行った。

被告人は、同月一二日、帰京後、前記「白鳥」に行き、同所で塩見孝也、田宮高麿、小西隆裕、上原敦男および前記小西隆裕の友人と落ち合ったのち、右の者とともに、同日午後一一時ころ、同都豊島区駒込三丁目一番一四号所在のホテル「愛川」に行ったが、同所で上原敦男は、塩見孝也から、明日ボーイング七二七型機で千歳に行き、同機の客席の様子、スチュワーデスの状況、操縦室と客席とのドアの施錠の有無、飛行場およびその付近の警備状況等につき調査するようにとの指示を受け、翌一三日、同ホテルに同宿した前記小西隆裕の友人を連れ、全日空ボーイング七二七型機で東京国際空港から千歳空港に飛んで右調査に当り、同月一四日右小西隆裕の友人とともに帰京した。

被告人は、同月一三日の午前中、田宮高麿とともに、同都豊島区駒込三丁目三番一九号所在の田村トリオビル内喫茶店「ルノアール」に行ったが、その際、田宮高麿から、国際根拠地設定のための準備資金として小西隆裕は実家から五〇万円送って貰った、俺も金を送って貰うため手紙を書いているところだから、被告人も手紙を書くようにといわれた。被告人は、かねて塩見孝也から右資金として一〇万円を集めるよう要請されていたことでもあり、自分自身としても国外に出るための費用が必要であると考え、田宮高麿の書きかけていた手紙を参考にしながら、「国外に行き被抑圧人民の解放のために闘うのでその資金として三〇万円を至急送って欲しい。」という趣旨の文言を手紙にしたため、これを長野県松本市宮渕二丁目七番一八号に居住していた父前田治雄宛に投函したが、まもなく来店した塩見孝也から、国際根拠地建設のための派遣要員に対し、右計画を遂行する決意の有無につき点検するため面接を行うから手伝ってくれ、被告人において合格者に対し今後の行動について注意を与えるようにと依頼され、塩見孝也は、同都豊島区駒込二丁目七番六号所在の喫茶店「カトレヤ」において、長征軍の者の面接を実施し、他方、被告人は、前記「白鳥」において、その合格者に対し、服装は目立たないようにし髪形なども変えること、単独行動を避け必ず二人以上で行動しアジトには出入りしないこと、フェニックス作戦については親兄弟にも決して口外しないことなどの塩見孝也から指示のあった注意事項を伝達することにした。そこで、被告人らは、赤軍派の中継点に電話を入れ長征軍の者と連絡をとり、その結果、塩見孝也は、同日昼すぎころから、右「カトレヤ」において、岡本武、吉田金太郎、若林盛亮、赤木志郎および当時長征軍の隊員となっていた柴田泰弘らの面接を行い、被告人は、右「白鳥」等で岡本武、吉田金太郎および柴田泰弘に前記注意事項を伝え、さらに、翌一四日も、塩見孝也は前記「ルノアール」において、山田敏夫に面接をした。佐藤公彦に対しては、同人が塩見孝也に対し、劉世明が逮捕されたことに関して責任をとり中央委員を辞任したい旨の自己批判書を提出したので、面接は中止された。右面接の結果、岡本武、吉田金太郎、若林盛亮、柴田泰弘およびそのころ右面接を済ませた田中義三らを参加要員に決定し、山田敏夫らについてはなお翌一五日にも面接をすることになった。上原敦男は、前記のように、同月一四日に帰京したのち、右「ルノアール」を訪れ、同所に居合せた塩見孝也に対し、千歳空港の様子、飛行機内の状況等についての調査結果を報告したのち、被告人とともに前記「白鳥」に行き、まもなく来店した田宮高麿に対して同様の報告を行った。

ところで、塩見孝也、田宮高麿、小西隆裕および被告人は、同月一三日および一四日の両日にわたり、右参加要員の選定と相前後して、前記喫茶店「白鳥」等において、国際根拠地設定のための要員を国外に派遣する方法等につき検討協議したが、その際、塩見孝也が、すでに田宮高麿から調査委員会の結果報告を受けてこれを記載していたノートを示しながら、「ハイジャックで北朝鮮に行く。そこからキューバに渡ることも考えている。」旨の説明があり、全員これを了承したのち、塩見孝也、田宮高麿、小西隆裕、被告人および上原敦男ならびに前記面接により参加要員と決定した者のほか、現在保留中の者らのうち若干名を実行行為者とし、右参加要員が決まり次第その具体的内容を呈示し、その後ハイジャックの訓練を行い、捜査当局の動きを警戒し、スパイがいればこれを摘発したうえ、同月二一日に決行するとのスケジュールを立て、また、旅客機内における参加要員の配置、任務分担につき検討を加え、機内の制圧の具体的方法として、旅客機が離陸してから一〇分後に、刀や爆弾で乗客を威嚇すると同時にパイロット、スチュワーデスを制圧し、全員をロープ等で縛るが、その際、私服警察官や警備員の存在に特に警戒対処することを決定し、さらに、ハイジャックを行う飛行機の機種、飛行場の選定等についても討議し、田宮高麿が、地方の空港よりも人の出入りの多い羽田空港の方がかえって捜査当局の目をそらせることができるのではないかとの意見を述べるなどしたが、これらについては、調査を要する点があるとして最終的決定には至らなかった。そこで、今後の任務分担を行い、塩見孝也および被告人が参加要員の面接を担当すること、被告人は岡本武、吉田金太郎、柴田泰弘を、小西隆裕は残りの田中義三、若林盛亮らをそれぞれ掌握すること、田宮高麿が兵站を担当し、上原敦男および小西隆裕がその補佐をすることに決まった。その際、塩見孝也は、「拳銃は無理だが、すでに日本刀は上原が、爆弾は小西がそれぞれ準備しており、ロープも用意する。」旨の説明を行った。同月一四日夜、塩見孝也、田宮高麿および被告人の三名は小西隆裕と別れ、前記八木秀和方に投宿したが、翌一五日、塩見孝也および被告人が、参加要員選定のための残りの面接などを行うため、タクシーに乗車し駒込方面に向っていたところ、張込み中の私服警察官に、右タクシーの停車を求められて、同区駒込一丁目四四番警視庁巣鴨警察署駒込駅前派出所前路上付近において、塩見孝也は前記大菩薩峠の事件に関連した爆発物取締罰則違反の逮捕状により、被告人は前記のとおり同年三月二日若林盛亮らに購入させた登山ナイフ一丁を携帯していたため、銃砲刀剣類所持等取締法違反の現行犯人として、それぞれ逮捕されるに至った。

赤軍派は、塩見孝也および被告人が逮捕されたため、同年三月一五日夕刻、高原浩之の指示により、日本委員会の幹部の川島宏および物江克男らが上野付近の喫茶店に集合し、高原浩之から「路線の変更はしないことになった。皆んなを動揺させないようにしてくれ。」との指示がなされ、さらに、同日午後一〇時ころ、同都港区六本木六丁目一番二六号所在の喫茶店「アマンド」に田宮高麿、高原浩之、小西隆裕および上原敦男が落ち合って、今後の方針につき協議した際、上原敦男が総路線を点検しなおすべきだと主張したが、容れられず、高原浩之、田宮高麿、小西隆裕の既定方針通り実行する旨の主張が通り、ハイジャックに向けての従前の日程を遅らせるにしても、国際委員会の田宮高麿、小西隆裕を中心として、国際根拠地設定のために、ハイジャックを敢行して北朝鮮へ行く旨の従来の基本方針を踏襲することとなった。田宮高麿および小西隆裕は、翌一六日、森清髙と会い、同人に対し、「塩見が逮捕されたが、ハイジャックによる北朝鮮行きは決行しなければならない。」旨を説き、その参加要員として今後田中義三および柴田泰弘と一緒に行動するように指示し、また、同日、小西隆裕は、山田敏夫に対しても、国際根拠地建設計画は中止しない旨を説明したのち、その参加要員として岡本武と行動を共にするようにとの指示を与えた。

ところで、上原敦男および川島宏は、同月一六日夜、同都台東区浅草にある吉原公園付近の路上において、前記足立隆一および田中祐三と待ち合わせ、両名から模造の日本刀九本および同短刀四本合計一三本の引き渡しを受け、川島宏が運転して来たトヨペットコロナハードトップ(静岡五め六二―八四号)に積み込み、一旦、前記和光パレス内渋谷建築設計事務所に運び入れたのち、同月一八日、川島宏において、さらに同都文京区所在の東京大学工学部都市工学科の同人のロッカー内に保管した。

同月一九日、同都中央区京橋二丁目一三番地所在の中央区立京橋区民会館三階六号室において、すでにハイジャックのための要員に選定されていた者のうち、連絡のとれなかった安部公博および吉田金太郎を除く、田宮高麿、小西隆裕、上原敦男、森清髙、田中義三、柴田泰弘、岡本武、若林盛亮、赤木志郎および山田敏夫の全員が出席して会合を開き、席上、田宮高麿が従来の方針に基づき国際根拠地建設の必要性、正当性等を話し、参集者の意思確認を行ったのち、小西隆裕が、ハイジャックして北朝鮮に行くこと、金日成の革命理論、北朝鮮の現況等について説いたが、その途中、川島宏が足立隆一らから購入した日本刀および短刀のうち各一本あてを同室内に持ち込んだ。ついで、上原敦男が黒板にボーイング七二七型旅客機内の見取図、乗務員の配置等を書き、それに基づき、田宮高麿が、機内を制圧する手順を説明したが、その要旨は、飛行機が発進後、座席ベルト着用のランプが消え水平飛行に移った際、小西隆裕が隣の乗客に短刀をつきつけて脅し、大声を出すのを合図に、日本刀や短刀等で他の乗客を脅し、私服警察官の有無を確認し、スチュワーデスを前の方に連行して操縦室のドアを開けさせ、二、三名がその中に入りパイロットを制圧して北朝鮮に向かわせ、その間、他の者らは乗客やスチュワーデスの手をロープ等で縛り、田宮高麿が、乗客に対し赤軍派の行動目的等について演説するというものであった。また、その際、田宮高麿は、北朝鮮で軍事訓練を受けたのち必ず日本に帰り秋に蜂起する、日本に帰った時点で全員に中央委員の地位を与える旨強調した。右説明後、参集者にハイジャックを行う際の任務分担を指示し、これに従い、同室内の椅子を旅客機の客室に模して並べたうえ、前記日本刀および短刀を使用して乗客らの制圧方法などにつき訓練を行った。

その後、川島宏は、同月二一日ころ、同都渋谷区代々木一丁目三〇番一二号所在の喫茶店「どりあん」において、足立隆一らから入手していた前記日本刀および短刀のうち、京橋区民会館に持ち込んだ日本刀および短刀各一本を除くその他のものを小西隆裕に引き渡した。

なお、ハイジャック実行要員中、上原敦男および森清髙は同月二一日ころ、山田敏夫は同月二六日ころ、いずれも右実行行為に参加する意思を喪失し、その旨を他の要員に表明して脱落した。

(罪となる事実)

被告人は、前記のとおり、昭和四五年三月一三日および翌一四日、東京都豊島区駒込二丁目三番四号所在の喫茶店「白鳥」等において、塩見孝也、田宮高麿および小西隆裕と協議して、同年秋の共産主義者同盟赤軍派による前段階武装蜂起のため国外に国際根拠地を建設する目的で、同派の他の実行要員とともに、日本刀や爆弾等により乗務員、乗客を脅迫してロープ等で縛り、旅客機を強取したうえ、これらの者を実力支配下においたまま人質として連行し、朝鮮民主主義人民共和国に脱出する旨の共謀をなし、さらに、順次、高原浩之、田中義三、柴田泰弘、岡本武、若林盛亮、赤木志郎、安部公博および吉田金太郎と共謀したうえ、同月三一日、同都大田区羽田空港二丁目所在の東京国際空港において、田宮高麿、小西隆裕、田中義三、柴田泰弘、岡本武、若林盛亮、赤木志郎、安部公博および吉田金太郎の九名が、右計画を実行するため、同日午前七時一〇分同空港発福岡空港行、日本航空株式会社定期旅客機三五一便(ボーイング七二七型機、機体番号JA八三一五号、通称「よど」号、同社代表取締役松尾静麿管理)に乗客を装って乗り込み、客室の前部、中央および後部付近にそれぞれ分散して着席した。田宮高麿ら右九名は、同機が、同日午前七時二一分、同空港を離陸して上昇を続け、同日午前七時三〇分すぎころ、富士山上空付近を航行中、同機内の座席ベルト着用のサインが消えるや、最前列の客席にいた小西隆裕が大声で「共産同赤軍派だ。」と叫んで立ち上がり、隣客のスプリングの襟を左手に掴み刃渡り約二〇センチメートルの短刀を同人の胸元に突きつけたのを合図に、各自携帯準備していた刃渡り約七〇センチメートルの日本刀あるいは刃渡り約二〇センチメートルの短刀などを手に持って立ち上がり、客室内に搭乗していたスチュワーデス神木広美(当時二二歳)、同久保田順子(当時二三歳)、同沖宗陽子(当時二一歳)および別紙乗客一覧表(一)および(二)各記載の立川幸子ら一二二名に対し、右抜身の日本刀や短刀などを振りかざしあるいは突きつけ、さらには拳銃ようのものを構えたりなどしながら、「静かにしろ。」「手をあげろ。」などと怒号し、さらに、田宮高麿において、同室内の機内マイクを使用し、「我々は共産同赤軍派である。今から、この飛行機を乗っ取り北鮮に行く。乗客の者も一緒に行ってもらう。反抗する者は容赦しない。もし、阻止されれば、用意してある爆弾で自爆する。」旨申し向けて脅迫し、子供およびその母親など一部婦女子を除く乗客全員、右神木広美らスチュワーデス三名の両手を後手または前に組ませて用意していたロープ等で順次縛りあげ、さらに、同人らが坐っている座席ベルトを締め、その間、田宮高麿、小西隆裕および田中義三らが、操縦室内に踏み込み、同室内にいた機長石田真二(当時四七歳)、副操縦士江崎悌一(当時三二歳)、航空機関士相原利夫(当時三一歳)およびスチュワーデス訓練生植村初子(当時一九歳)に対し、抜身の刃渡り約七〇センチメートルの日本刀および刃渡り約二〇センチメートルの短刀を突きつけ、「静かにしろ。」「抵抗するな。」「客室の方は制圧したからいうことを聞け。」などと申し向けて脅迫し、相原航空機関士を立たせ、その両手を所携のロープで後手に強く縛りあげて、操縦室から客室へ連れ出したうえ、操縦室内の石田機長および江崎副操縦士に対し、その背後から日本刀および短刀を突きつけながら、「赤軍派の者だ。進路を北朝鮮のピョンヤンに向けろ。」と迫り、これに応じなければ乗務員、乗客全員を道連れに飛行機もろとも爆破する旨申し向けて脅迫し、右乗務員および乗客全員の反抗を抑圧し、石田機長をして、右田宮高麿、小西隆裕および田中義三らの命ずるままに航行するのやむなきに至らしめ、よって、右旅客機を強取し、その際、前記暴行により別紙受傷者一覧表記載のとおり、相原航空機関士ほか四名の乗客に対しそれぞれ傷害を負わせるとともに、別紙乗務員一覧表(一)および(二)ならびに別紙乗客一覧表(一)および(二)各記載の石田機長ら一二九名を日本国外に移送する目的で自己らの実力支配下に置いて略取し、引き続き、田宮高麿が機内マイクを使用し、客室内の乗務員、乗客に対し、「抵抗しなければ危害は加えない。」「諸君がもし暴れるようなことがあれば我々は手製爆弾で自爆の覚悟である。」旨再三にわたって繰り返して威嚇したほか、柴田泰弘、岡本武、若林盛亮、赤木志郎、安部公博および吉田金太郎が日本刀あるいは短刀を手に持ち、登山ナイフを腰に提げ、胸のポケットや腰バンドに鉄パイプ爆弾を入れるなどしたまま、逐次、機内を巡回し、緊縛してあるロープの点検をするなどして乗客らの行動を見張り、また、操縦室内においては、小西隆裕、田中義三らが抜身の日本刀や短力を手に持って石田機長、江崎副操縦士およびそのころ計器類の確認スイッチ操作の必要上、客室から連れ戻した相原航空機関士らの行動を監視しつづけ、同日午前九時ころ、石田機長の要請により燃料補給のためひとまず同機を福岡市大字上臼井字柳井三四八番地所在の福岡空港(米軍板付基地)に着陸させたが、その際、田宮高麿が他の共犯者らに対し、「爆弾を用意しろ。」「入口をかためろ。」などと命じて各自の分担場所につかせ、同機内外の動きに対して厳戒態勢をとらせるとともに、機内マイクで乗客らに対し、静かにするよう警告を発し、違反する者は容赦しない旨申し向けて脅迫し、さらに、同機の出入口扉の把手をロープ等で縛り止めるなどして、乗務員、乗客の脱出を阻止し機内に抑留していたが、石田機長らの要望を受けいれ、同日午後一時五〇分ころ、別紙乗客一覧表(一)記載の立川幸子ら老齢者、幼児、保護者など二三名を降機させた。田宮高麿ら前記九名は、同日午後二時ころ、残りの別紙乗務員一覧表(一)および(二)ならびに別紙乗客一覧表(二)各記載の石田機長ら合計一〇六名を搭乗させたまま、同機を同空港から朝鮮民主主義人民共和国に向けて離陸させ、乗務員や乗客を自己らの監視の下に置いて飛行を続け、同機が北緯三八度線付近上空に至ったところ、戦闘機が近寄って来て降下を指示し、かつ、地上局との交信がピョンヤンを告げていたので、石田機長らと同様、朝鮮民主主義人民共和国のピョンヤンに到達したものと誤信して、同日午後三時一五分ころ、同機を大韓民国ソウル特別市近辺の金甫国際空港に着陸させたが、まもなく、同所が大韓民国内の空港であることに気付いて憤激し、再び同機内外に対する厳戒態勢をとるとともに、客室内では田宮高麿が機内マイクで、「我々はあくまでピョンヤンに行く。もし、ここで阻止されれば、乗客の皆さんと一緒に自爆する。」旨繰り返し申し向けて脅迫し、他の共犯者らも、手に日本刀や短刀等を持ち、また、鉄パイプ爆弾を携帯したまま、機内をパトロールするなどして乗務員、乗客の動静を警戒すると同時に、操縦室においては、小西隆裕および吉田金太郎らが、石田機長、江崎副操縦士、相原航空機関士の行動を監視するなどして、乗務員および乗客が機外へ脱出するのを阻止して抑留を継続していたが、同年四月二日午後六時ころ、山村新治郎運輸政務次官との間で、同人が右よど号に乗り込む代わりに、乗客およびスチュワーデスを解放することを条件に朝鮮民主主義人民共和国に向う旨の話合いがつき、翌三日午後二時三〇分ないし同日午後三時ころまでの間に、別紙乗務員一覧表(二)および別紙乗客一覧表(二)各記載の神木広美ら一〇三名を降機させたのち、同日午後六時すぎころ、石田機長、江崎副操縦士、相原航空機関士および山村運輸政務次官を搭乗させて、同機を金甫国際空港から朝鮮民主主義人民共和国へ向けて離陸・飛行させ、同日午後七時二〇分ころ、同機を同国ピョンヤン郊外の美林飛行場に着陸させ、もって、別紙乗客一覧表(一)記載の立川幸子ら二三名を同年三月三一日午前七時三〇分すぎころから同日午後一時五〇分ころまでの間、別紙乗務員一覧表(二)および別紙乗客一覧表(二)各記載の神木広美ら一〇三名の者を同日午前七時三〇分すぎころから同年四月三日午後二時三〇分ないし同日午後三時ころまでの間、別紙乗務員一覧表(一)記載の石田機長ら三名を同年三月三一日午前七時三〇分すぎころから同年四月三日午後七時二〇分ころまでの間、それぞれ前記よど号機内において不法に監禁し、かつ、別紙乗務員一覧表(一)および(二)ならびに別紙乗客一覧表(二)各記載の石田機長ら一〇六名の被拐取者を日本国外に移送したものである。

(証拠の標目)《省略》

なお、被告人は、当公判廷において、昭和四五年三月一三日午後七時すぎころ、中央大学時代の友人で、東京都中野区に居住していた所よし子を訪ね、たまたま同所に来合わせていた知人安藤参三とともに、飲食しながら談笑して、同女と同棲していた浦上廣徳の帰宅を待っていたが、同人が帰って来ないので、同所に泊めてもらうことを断念し、同女から五〇〇円を借り受けて同女宅を出、同都新宿区にあった簡易宿泊所で一夜を明かした旨供述し、証人浦上よし子(旧姓所)および同安藤参三も、当公判廷において、同日午後七時三〇分ころ、当時所よし子が浦上廣徳と居住していた同都中野区中野二丁目四二番地のアパートに被告人が訪ねて来たこと、居合わせた安藤参三は同日午後一〇時ころ辞去し、被告人はその場に残っていたが、最終電車の時刻になっても浦上廣徳が帰宅しなかったので、所よし子から五〇〇円を借用して翌一四日午前一時二〇分ころ立ち去った旨証言しているのであるが、被告人が右のように同月一三日夜所よし子を訪問したとするならば、被告人の本件に対する刑事責任を決するうえで、きわめて重要な事柄であると思われるのに、被告人は捜査段階においては、右事実に関しまったく供述していないのみならず、かえって、当夜の被告人の行動について、被告人の検察官に対する昭和四五年五月二・三日付供述調書において、昭和四五年三月一三日は判示のとおり喫茶店「白鳥」において、塩見孝也らと朝鮮民主主義人民共和国へハイジャックで行くことに関する具体的計画につき協議したのち、同日午後一一時ころ、同店を後にして、同都千代田区神田にあった中大新聞の事務所に赴き、「蜂起が世界を揺がす時」と題する論文の原稿を届けたが、原稿料を貰えなかったため、同事務所の女子事務員から五〇〇円を借り受けて同都新宿区の簡易宿泊所に赴き、同宿泊所で一泊した旨異なった供述をしていること、浦上よし子および安藤参三は、被告人と同じ中央大学の同級生で、被告人が同大学在学中に社会主義学生同盟員として活動していた当時の同盟員あるいは同調者であるうえ、右両名の各証言は、すでに五年半余を経過した時期における被告人および右両名の言動、日時等につき細部にわたり一致していて不自然の感を免れないことに加え、他の関係証拠によって認められる被告人の当日およびその前後の行動ならびに状況等を合わせ考えるならば、被告人が当日午後七時三〇分ころ所よし子を訪れた旨の前記被告人ならびに証人浦上よし子および同安藤参三の各供述はにわかに措信できない。

(被告人および塩見孝也等の検察官に対する供述調書の証拠能力について)

一(一)  弁護人は、当裁判所が採用した被告人の検察官に対する供述調書一四通につき、以下の理由によりいずれも任意性に疑いがあり、証拠能力を有しないから排除されるべきである旨主張する。すなわち、

1 被告人の検察官に対する昭和四五年四月一三日付および同月一五日付各供述調書について

(1) 被告人は、昭和四五年三月一五日、爆発物取締罰則違反の罪で逮捕、勾留されて捜査官の取調を受けたが、被告人には、右爆発物取締罰則違反の罪の嫌疑がないことが明らかとなったので、検察官は同年四月四日、被告人を釈放すると同時に、取調中に明らかとなった兇器準備結集幇助罪で再逮捕するとともに、同日右罪により公訴を提起して被告人の勾留を継続し、本件強盗致傷、国外移送目的略取、同移送、監禁罪(以下「本件」という。)について取調を行い、同月二二日になって初めて本件により被告人を逮捕したのである。ところで、被告人の昭和四五年四月一三日付および同月一五日付各検面調書は、被告人を兇器準備結集幇助罪により起訴後、その勾留を利用して被告人を取り調べた結果作成されたものであるが、被告人は右兇器準備結集幇助の事実については公訴提起前においてすでに自供しており、被告人の身柄を拘束する必要の存しない軽微な事案であったから、右の勾留は本件について被告人を取り調べその自白を得る目的であったことが明らかであり、従って、右勾留期間中に得られた被告人の前記二通の検面調書は違法に収集されたものである。

(2) 右二通の検面調書は、検察官大熊昇が、真実は被告人を本件の被疑者として取り調べていたにもかかわらず、法律にうとい被告人が、身柄の拘束を受けている間に敢行された本件と自分とは無関係であると信じ、錯誤に陥っていることを知悉しながら、被告人に対し、本件について故意に黙秘権の告知をなさず、かつ、右錯誤を利用して、取調べた違法なものである。

2 被告人の検察官に対する昭和四五年四月三〇日付、同年五月二・三日付、同月四日付(二通)、同月六日付、同月九日付、同月一一日付、同月一二日付、同月一三日付、同月一四日付、同月二九日付および同年六月八日付各供述調書について

(1) 被告人は同年四月二二日に本件により逮捕されたため、以後の取調に対しては黙秘をする決意でいたところ、大熊検察官が、同月二四日の取調において、自白をすれば本件については被告人を起訴しない旨約束し、その後の取調においても、たびたび同様の言明を繰り返したので、被告人はこれを信用し起訴猶予になることを期待して自白したもので、被告人の右各検面調書は利益の約束による自白に基づくものである。

(2) 被告人の右各検面調書は、被告人が同年三月一五日に逮捕された当初から精神的、肉体的に疲労していたうえ、連日の長時間にわたる取調のため、同月下旬ころから心身ともに極度の疲弊状態に陥り、拘禁反応の症状下にあって意識が混沌としており、自己の防禦能力を欠き、不利益な供述を誘導されやすい精神状態の継続するなかで、被告人を強制的に取り調べた結果、作成されたものである。

(3) 大態検察官は、他の共犯者においていまだ本件につき供述していないにもかかわらず、あたかもすでに供述していて、間違いない旨偽計を用い、あるいは、執拗な理詰めによる追及などをなして、被告人に自白を強要し、右各検面調書を作成したものである。

(二)1  そこで、まず(一)の1の(1)の点についてみると、証人遠藤薫の当公判廷における供述、昭和四五年四月二一日付逮捕状、同月二五日付勾留状、東京地方裁判所同年七月二八日宣告の調書判決謄本および被告人の当公判廷における供述によれば、被告人は、昭和四五年三月一五日、国電駒込駅付近において、塩見孝也と共にタクシーに乗車して走行中、警察官から職務質問を受けたが、その際、刃体の長さ約一二・九センチメートルの登山ナイフ一丁を携帯していたため、銃砲刀剣類所持等取締法違反の現行犯人として逮捕されたのち、すでに被告人に対し逮捕状の発付されていた爆発物取締罰則違反の罪により逮捕され、警視庁赤坂警察署に留置、取調を受けていたが、同年四月四日、右爆発物取締罰則違反の罪について釈放されるとともに、同日、兇器準備結集幇助罪で再逮捕される一方、同罪により公訴の提起を受け、引き続き同署に勾留され、同月一三日、東京拘置所に移監となったこと、その後、同月二二日強盗、国外移送略取、監禁、爆発物取締罰則違反、銃砲刀剣類所持等取締法違反、出入国管理令違反の罪により再び逮捕されるとともに、警視庁に留置され、同月二五日勾留されて、同年五月一四日、本件につき公訴の提起を受けたことが認められる。

右の経過によると、被告人の昭和四五年四月一三日および同月一五日付各検面調書は、被告人が兇器準備結集幇助罪による起訴後の勾留期間中の取調において作成されたことが明らかであるが、同罪は赤軍派によるいわゆる大菩薩峠事件に関連し、同派所属の学生らの保管していた登山用ナイフ三四丁等の運搬をさせたというものであり、関係者も多数であって、必ずしも軽微であるとはいえないのみならず、所論のように、被告人が右公訴提起前において右事実につき自白していたとしても、被告人の当時の生活状況等諸般の事情からみて、被告人に逃亡のおそれがないとは認め難く、身柄の拘束をしないで起訴するのを相当とするような事案であるということができない。また、検察官がはじめから本件の取調に利用する目的または意図をもってことさらに右兇器準備結集幇助事件を起訴し、かつ、勾留を請求したことを確認するに足りる事実は認められない。それゆえ、検察官が兇器準備結集幇助事件につき、起訴、勾留の手続をとった後、本件について、さらに被告人の取調をしたからといって、違法と解すべき理由はない。

2  つぎに、(一)の1の(2)の点について検討すると、大熊検察官の取調に立ち会った検察事務官遠藤薫の当公判廷における証言によると、大熊検察官は前記兇器準備結集幇助罪の取調を行うにあたり、冒頭において被告人に対し黙秘権の告知を行っており、その際、とくに本件についても黙秘権の有することを明示していないことが認められるけれども、そもそも黙秘権は憲法の規定に基づき取調を受ける者の側において一般的に存在するものであって、各個の被疑事実ごとに存在するものではないから、黙秘権の告知に際しては、法の定めるとおり自己に不利益な供述を拒否することができる旨を告げれば足りるのであって、被疑事実を告知する必要はなく、したがって、検察官においてことさら本件に関しても黙秘することができる旨を告げるべき義務は存しないものと解すべきである。そして、検察官は本件が前記兇器準備結集幇助罪と同じく被告人の所属していた赤軍派の犯行であり、右事件に関連して、赤軍派の有する政治理論に基づく一連の行動経過を明らかにするため、被告人から事情を聴取したもので、所論のように被告人の錯誤を利用して故意に取調を行ったとは認められず、また、これまで度々被疑者として取調を受けた経験を有する被告人として黙秘権の存在は十分知悉しているところであり、所論のように被告人において供述義務があると錯誤して自白したとは、到底認めることができない。

3  被告人の昭和四五年四月三〇日付、同年五月二・三日付、同月四日付(二通)、同月六日付、同月九日付、同月一一日付、同月一二日付、同月一三日付、同月一四日付、同月二九日付および同年六月八日付各検面調書に関する弁護人の前記(一)の2の(1)の主張についてみると、被告人は当公判廷において、「ハイジャック事件で逮捕後は取調に対し黙秘していたところ、同年四月二四日検察官の取調を受けた際、検察官から君は起訴しないから正直なところを喋ってくれといわれたので、事件当時獄中にいた者の起訴はしないのだろうと思って供述した。このことは調書を作る段階で私が供述を渋る際にも何度となくいわれた。また、同月二七日、警視庁において接見に来た父治雄に対し、検察官はハイジャック事件では起訴しないと言ってくれていると話をしている。」旨供述し、証人前田治雄も当公判廷において、被告人の右供述に沿う証言をしている。しかしながら、遠藤検察事務官は、当公判廷(第四〇回および第五七回各公判期日)において、大熊検察官が被告人に対し、不起訴の約束をしたことはない旨証言しており、また、被告人と前田治雄との接見に立会った金谷嘉一警部補も、当公判廷において証人として、右接見の際被告人が父治雄に対し検察官がハイジャック事件については被告人を起訴しない旨の話をしたことはない旨供述し、本件ハイジャック事件は重大事件であって、いまだ捜査を要する段階において検察官が被告人に対し刑事不訴追の条件を付することは、当時被告人の取調を担当した同警部補としては黙過することができず当然検察官に抗議すべき重要事であって、被告人が父治雄に前記のような話をすることはありえない旨言明しているうえ、被告人の当公判廷における供述によれば、被告人は本件について公訴提起を受けた昭和四五年五月一四日の後においても異議なく検察官の取り調べに応じ、前記被告人の同月二九日付および同年六月八日付各検面調書において、起訴前と同様の供述をしていること、また、本件の実行行為者はすべて国外に脱出し、同年四月二四日の段階においては、本件共謀の経緯等に関する供述はもっぱら被告人だけから得られていたもので、以後の捜査の進展状況については捜査官においても予測がつかず、将来における証拠収集の結果を俟たなければ公訴提起の可能性の有無が不明の時期に、前歴を有し赤軍派の幹部と目される被告人に対し、不起訴の約束を行うというのは不自然、不合理であって、首肯できないこと等を合わせ考えるならば、大熊検察官が被告人に対し不起訴の約束を行った旨の被告人の当公判廷における供述および被告人からその旨聞いたという証人前田治雄の前記供述は措信することができない。他に被告人の検面調書が所論のように利益の約束による自白に基づくものであることを認めるに足りる証拠はない。

4  そこで、被告人の取調時における肉体的精神的状況についてみると、被告人は、この点につき当公判廷において、「昭和四五年三月一五日の逮捕時においてすでに逃げる気力もない程疲労している状態であったうえに、その後の連日の取調のため、同年四月下旬ころには、肉体的疲れだけではなく、意識も朦朧としていた。一度警察官に医務室に連れて行かれて太い管の注射を受けたこともあったが、それでも取調は継続された。また、同年五月一〇日ころ歯が突然痛み出し、取調官にその旨申し出たが、薬をくれたのみで歯医者に連れて行ってくれなかった。」旨供述しているが、前記証人遠藤薫は取調時被告人がとくに疲労しているとは見えなかった旨供述しているうえ、司法警察員小黒隆嗣作成の捜査関係事項回答書、東京拘置所長林田亮作成の「捜査関係事項について」と題する書面、司法警察員作成の昭和五〇年九月一九日付捜査報告書、司法警察員金谷嘉一および同永山政美各作成の「捜査関係事項回答について」と題する書面、東京拘置所長作成の昭和五一年六月二八日付「症状の回答について」と題する書面および加藤検事の三浦正士に対する電話聴取書によると、被告人は、昭和四五年三月一五日から警視庁赤坂警察署に留置され、同年四月一三日に東京拘置所に移監されていること、同月二二日に本件で逮捕された以後は警視庁に留置され、同年五月一八日東京拘置所に移されていること、同年三月一九日以降ほぼ連日のように警察官および検察官の取調を受けていると推測されるが、不当に長時間であるとはいえないこと、被告人は、同年五月八日に、警視庁医務室において念のためビタミンB1約一ccの注射を受け、また、同年四月二二日、東京拘置所において、歯科医師の診療を受けた後、同年五月二日警視庁医務室において、鎮痛剤セデスを服用し、同月七日および同月一一日には警察共済組合警察庁支部歯科診療所において、受診していて、被告人の申出により医療措置が施されていることがそれぞれ認められるのであって、これらの事実によると、被告人が取調を受けている期間中、肉体的にやや疲労していたことが窺われるけれども、所論のように被告人が取調に耐えられず任意に供述することができないほど疲弊していたものということはできない。被告人の当公判廷における供述中右認定に反する部分は信用できず、他に被告人の右各検面調書が強制による取調の結果作成されたことを認めるに足りる証拠はない。

5  最後に検察官の被告人に対する取調態度についてみるに、被告人は、この点に関し当公判廷において、弁護人の前記(一)の2の(3)の主張に沿う供述を行っているが、右供述自体必ずしも具体性があるとは言い難いうえ、被告人の各検面調書を仔細に検討するならば、その身上、経歴をはじめとして本件に至る経緯につき詳細に述べているが、自己に不利益な事実については必ずしも当初から検察官にすべて供述しているものではないこと、取調においてはそれが強制にわたらない限りにおいては、論理的に矛盾する点や、あいまいな点、他の証拠とくい違う点などにつき質問を発して真偽を確めることが禁ぜられるものではないこと、被告人は録取された内容を了知したうえ署名指印していることなどをあわせ考慮すると、被告人の右供述は、前記証人遠藤薫の証言ならびに他の関係証拠に照らしにわかに措信し難く、被告人の各検面調書が所論のように検察官の偽計あるいは執拗な理詰めの追及による強要によって作成されたものとは認めることができない。

(三)  弁護人が任意性を欠くと主張する根拠は、主として被告人の当公判廷における供述に依拠するものであるが、右供述は前述のように措信することができず、他に被告人の各検面調書の任意性を疑わせるに足りる事実は窺うことができない。弁護人の右主張は理由がない。

二(一)  つぎに、弁護人は、塩見孝也(三通)、山田敏夫(四通)、高原浩之、物江克男(二通)、佐藤公彦、上原敦男(六通)、川島宏および森清髙の検察官に対する各供述調書謄本は、いずれも以下の理由により証拠能力がなく、排除されるべきである旨主張する。

1 塩見孝也、山田敏夫、物江克男、佐藤公彦、上原敦男、川島宏および森清髙の各検面調書において検察官が相反部分として指摘するものの中には、第三者の供述記載があり、これらはいずれもいわゆる再伝聞に当るものであって、その証拠能力を認めた規定がないから、刑事訴訟法三二〇条により証拠能力を有しない。

2 塩見孝也の検面調書三通について

塩見孝也の検面調書三通は、強制または脅迫による自白であり、また、連日の長時間にわたる取調により心身ともに疲労困憊していた同人に対し、検察官が、本件発生の二週間前に逮捕されているから無罪である旨偽計を用い、さらに、執拗な理詰めによる追及の結果得られたものであり、任意性を有しない。

3 山田敏夫の検面調書四通について

山田敏夫は、判示青楓チェーンストアーに対する強盗予備罪で逮捕、勾留されていたにもかかわらず、その間の同人に対する取調はもっぱら本件に関するものであって、同人の供述はいわゆる別件逮捕勾留中の自白であり、また、検察官は同年五月二五日、同人の父山田当己雄から事情聴取した際、本件については山田敏夫を起訴しない旨の説明をしたため、山田当己雄は直ちに敏夫に接見し、その旨を伝え、山田敏夫はこのことを信じて検察官に対し供述を行ったのであるから、利益と引換えに勧誘した結果による自白であり、さらに、連日長時間にわたる取調状況下においてなされた供述であるから、山田敏夫の検面調書四通は、いずれも任意性を有しない。

4 高原浩之の検面調書について

高原浩之の検面調書は、自白をすれば本件につき幇助にする旨の検察官の言葉を信じて、検察官の創作した調書に署名指印を行ったものであるから、任意性を有しない。

5 物江克男の検面調書二通について

物江克男の検面調書は、同人を逮捕後、連日連夜長時間にわたり、睡眠の補充、休養について特段の配慮を加えないまま取り調べした結果作成されたものである。また、同人の供述は、検察官の自白をすれば起訴猶予になるかもしれない旨の言葉を信じ、さらに、執拗な理詰めによる追及の結果なされたものであるから、任意性を有しない。

6 佐藤公彦の検面調書について

佐藤公彦の検面調書は、本件について自白を得るために、別件の公務執行妨害に藉口して逮捕、勾留し、これを利用して、もっぱら本件を取り調べた結果作成されたものであり、また、同人の供述は、検察官において強制または脅迫を加え、あるいは、本件の不起訴の利益と引換えに勧誘し、さらに当時精神的に疲労していた佐藤公彦を連日執拗な理詰めで追及した結果なされたものであるから、任意性を有しない。

7 上原敦男の検面調書六通について

上原敦男の検面調書は、検察官から、自白をすれば本件は幇助にするかもしれない旨いわれた言葉を信じ、また、検察官の執拗な理詰めによる追及の結果供述したものであり、任意性を有しない。

8 森清髙の検面調書について

森清髙の検面調書は、連日の長時間にわたる取調が行われ、検察官から、暗に高原浩之が森清髙のため有利な発言をしている旨ほのめかしてなされた偽計による自白、保釈取消を理由とする脅迫による自白、不起訴の利益と引換えになした勧誘による自白、さらには、執拗な理詰めの追及による自白に基づくものであって、任意性を有しない。

9 川島宏の検面調書について

川島宏の検面調書は逮捕直後から連日長時間の取調を行い、強制または脅迫および執拗な理詰めにより得た供述に基づき作成されたものであり、任意性を有しない。

(二)1  そこでまず、二の(一)の1の主張につき検討すると、弁護人主張の各検面調書中に記載されている第三者の供述部分が伝聞供述に当るか否かは、要証事実と当該供述者の知覚との関係により決せられるものと解すべきである(最高裁判所昭和三八年一〇月一七日判決・刑集一七巻一〇号一、七九五頁参照)。弁護人が指摘する第三者の供述記載部分は、いずれも第三者が右供述記載のような内容の発言をしたこと自体を要証事実としているものと解されるが、第三者が右内容の発言をしたことは当該供述者の自ら直接知覚したところであるから、伝聞供述に当らない(ちなみに、所論は検面調書中の伝聞にわたる供述は証拠能力を有しない旨主張するので付言するが、右伝聞の部分については、刑事訴訟法三二一条一項二号のほか同法三二四条が類推適用され、したがって、同条によりさらに同法三二二条または三二一条一項三号が準用されて証拠能力の有無を判断すべきであり、伝聞にわたる供述であるが故をもって証拠能力がないとはいえない((最高裁判所昭和三二年一月二二日判決・刑集一一巻一号一〇三頁参照)))。弁護人のこの点についての主張は理由がない。

2  次に、山田敏夫および佐藤公彦の各検面調書はいわゆる別件逮捕、勾留期間中に作成された違法なものである旨の主張について検討することとする。

第一九回および第二〇回各公判調書中証人山田敏夫の各供述部分、証人水本誠の当公判廷における供述ならびに司法警察員小黒隆嗣作成の捜査関係事項回答書によると、検察官請求の山田敏夫の昭和四五年五月二二日付、同月二五日、同月二七・二八日付および同月三〇日付検面調書四通は、同人が同年五月二〇日強盗予備の罪名で逮捕され、ひきつづき警視庁において勾留された期間中に作成されたものであることが認められるけれども、右各検面調書によると、右勾留の基礎となっている強盗予備罪は、赤軍派においていわゆるマフィア作戦の一環として青楓チェーンストアー青戸店の売上金強奪を狙った事実に関するものであって、それ自体重大案件であるのみならず、その目的が本件ハイジャック事件のための資金獲得にあったことが窺われるのであるから、諸般の状況からみて、同人に罪証隠滅、逃亡のおそれがないとは認め難く、身柄の拘束を必要としない事件であるということができず、捜査官において当初から本件の取調に利用する意図をもってことさらに右強盗予備罪につき逮捕、勾留したとは認められない。そして、右強盗予備罪の取調の過程において、関連性を有する本件ハイジャック事件の経過について事情を聞くことは、動機、目的を明らかにし、同人の処分を決するうえにおいて、必要性を有するものと解することができるのであって、検察官の山田敏夫に対する取調内容が本件にわたることをもって直ちに違法とはいえず、また、所論のように見込捜査と非難するのは当らない。

また、第一二回公判調書中証人佐藤公彦の供述部分、司法警察員小黒隆嗣作成の捜査関係事項回答書および東京拘置所長林田亮作成の「捜査関係事項について」と題する書面によると、佐藤公彦はいわゆる東大事件で審理中昭和四四年七月一一日保釈出所していたところ、昭和四五年六月一八日、保釈取消により収監されようとして警察官に抵抗した公務執行妨害罪により、現行犯人として逮捕され警視庁麻布警察署において勾留されたものであるが、同月二七日東京拘置所に移監され同日以後は、同拘置所において右東大事件の起訴後の勾留が継続していたところ、検察官請求の佐藤公彦の昭和四五年七月三日付検面調書は右事件の勾留期間中に作成されたものであることが認められる。右の事実によると、同人は保釈の取消を受け身柄拘束を必要とする事情にあったものであり、同人に対する逮捕、勾留がはじめからもっぱら本件の取調に利用する目的でなされたことを確認するに足りる証左はない。のみならず、起訴後の勾留期間中に余罪の取調をしたからといって、これを違法と解すべき理由はなく、右取調が直ちに自白の強制や不利益な供述を強要したことにはならない。同人の前記検面調書は、保釈出所後の同人の行動について事情を聴取されているものであるが、同人が赤軍派中央委員であり、同人の右行動を明らかにするうえにおいて、本件に及ぶことは自然の成行とみられるのであって、取調の内容が本件にわたったことをもって、不当とはいえず、所論のように見込捜査であると論難することはできない。

3  さらに、塩見孝也ら八名の各検面調書につき検討すると、同各調書の供述者らは、公判廷において、いずれも、弁護人の二の(一)の2ないし9の各主張に沿う供述を行っているけれども、司法警察員小黒隆嗣作成の捜査関係事項回答書、東京拘置所長林田亮および同岩崎隆彌各作成の「捜査関係事項について」と題する書面によれば、塩見孝也ら八名に対する捜査官の取調は、近接した日において連続して行われていることが認められるが、一日における取調時間はさほど長時間とは認められないし、また、検察官の山田敏夫を除く塩見孝也ら七名に対する取調に立会した遠藤薫検察事務官は、第四〇回公判において、取調当時の状況について、「塩見は神経質なタイプで、検察官の質問には熟慮してから答え、私が検察官から口授されて録取する調書を覗き込むようにして見ていた。高原も慎重なタイプで、検察官の質問に対しては意味をよく考えてから応答していた。物江は、行動を共にしていた親友の死を悔み組織から抜けたいと話していた。佐藤は、ねっちりしたタイプの人間で、検察官の質問にも相当考えてから答えていた。上原は明るい性格で、調べに対して快活に答えていた。川島および森については、通常の被疑者と特段変ったところは見受けられなかった。」旨、また、山田敏夫の取調に立ち会った水本誠検察事務官は、当公判廷において、「山田は素直でどちらかというとおとなしい人で、深く反省しているような態度が見えた。」旨証言し、両検察事務官とも、右の者らの健康状態に関して、特別異常と思われる者はいなかった旨証言しており、さらに、検察官請求の塩見孝也ら八名の前記各検面調書を仔細に検討してみると、当該供述者しか知りえないような事実についての供述記載部分が多数見受けられるうえ、同一事実に関する供述記載についても、各人の供述内容の間には微妙なニュアンスの相異が認められることなどに照らせば、所論のように同人らの右供述が検察官の強制または脅迫、偽計、不当な理詰めによる追及により同人らの意思に反してなされたものとは、認め難い。

ところで、山田敏夫の父である証人山田当己雄は、当公判廷において、内田健検察官から、山田敏夫をハイジャック事件では起訴しない旨いわれたので、翌日、同人と面会した際、その旨を伝え、正直に話すように説得した旨供述し、山田敏夫もこれに沿う供述を行っている。しかしながら、水本検察事務官は、当公判廷において、「内田検察官が山田敏夫を最初に取り調べたのは、昭和四五年五月二五日である。その際黙秘権を告知すると同時に、供述しても不起訴になるとは限らない旨告げている。同検察官は、山田当己雄と会ったが、同人から山田敏夫が本件ハイジャックにどの程度関係しているのかとの質問を受けた際、現在強盗予備罪で取調中であり、ハイジャックとの関係は取調べてみなければわからない旨説明した。」旨供述している。また、同検察事務官は、「内田検察官が山田当己雄と会ったのは、同月二六日であり、その際同人から事情を聞き調書を作成した。」旨証言しており、山田当己雄も、同人が内田検察官の取調を受けたのは一度だけであり、その際供述調書を作成された旨供述しているのであるが、同人の検察官に対する供述調書としては、同年五月二六日付のものが存在すること、また、司法警察員小黒隆嗣作成の捜査関係事項回答書によって明らかのように、山田当己雄が山田敏夫と接見しているのが同月二五日と同月二七日であることからみると、山田当己雄が内田検察官と会ったのは同月二六日であり、山田敏夫と面会したのは、同月二七日であると解される。そうだとすれば山田敏夫は、すでに同月二五日において、内田検察官の取調に対し、相当詳細な自供を行っており、また、それ以前の同月二二日にも他の検察官に対し概括的な自供をしている調書が存在していることにかんがみるならば、内田検察官において、山田当己雄に対しことさら山田敏夫を起訴しない旨の説明を行い、同人の自供を得る必要性はまったく存しなかったことが窺われる。さらに、同検察官が山田敏夫の取調を開始して二日もたたず、いまだ処分を決しうる状況にあったとは認められないことなどをあわせ考慮すれば、内田検察官から本件について起訴しない旨いわれたという山田当己雄の前記供述は措信することができない。したがって、山田敏夫の同検察官に対する供述が、所論のように不起訴の約束による自白であるとは認めることができない。

また、高原浩之、物江克男、佐藤公彦、上原敦男および森清髙の各検面調書が、大熊検察官からの利益と引換えになされた勧誘または約束による自白によるものであるとする同人らの供述を裏付ける証拠は、他になく、関係証拠と対比して、右各供述はにわかに信用できない。

4  以上、検討してきたように弁護人が塩見孝也ら八名の検察官に対する各供述調書謄本につき任意性がない旨主張する点はいずれも理由がなく、他にその供述の任意性を疑わせるような事実は存しない。そして、右各供述調書謄本は刑事訴訟法三二一条一項二号の要件を具備していることが認められるのであるから、弁護人の前記主張は採用することができない。

(確定裁判を経た罪)

被告人は、(一)昭和四五年七月二八日、東京地方裁判所において、兇器準備結集幇助罪により懲役一年、執行猶予二年の判決を受け、右刑は昭和四五年八月一二日に確定し、(二)昭和四七年五月一〇日、東京高等裁判所において、兇器準備結集、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反、建造物侵入未遂、公務執行妨害罪により懲役一年二月(未決勾留日数を刑期に満つるまで算入)に処せられ、右刑は同月一三日に確定し、(三)昭和四九年一〇月七日、東京高等裁判所において、兇器準備集合、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反、邸宅侵入、公務執行妨害罪により懲役一〇月(未決勾留三〇日を算入)に処せられ、右刑は同月二二日に確定したものであって、以上の各事実は、検察事務官作成の前科調書、東京地方裁判所昭和四五年七月二八日宣告の調書判決謄本ならびに東京高等裁判所昭和四七年五月一〇日および昭和四九年一〇月七日各宣告の判決書謄本によってこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示所為中、別紙受傷者一覧表記載の相原利夫ら五名(以下単に「相原利夫ら五名」という。)に対する各強盗致傷の点は、いずれも刑法六〇条、二四〇条前段に、別紙乗務員一覧表(一)、(二)および乗客一覧表(一)、(二)各記載の石田真二ら一二九名(以下単に「石田真二ら一二九名」という。)に対する各国外移送目的略取の点はいずれも同法六〇条、二二六条一項に、各監禁の点はいずれも同法六〇条、二二〇条一項に、別紙乗務員一覧表(一)、(二)および乗客一覧表(二)各記載の石田真二ら一〇六名(以下単に「石田真二ら一〇六名」という。)に対する各国外移送の点はいずれも同法六〇条、二二六条二項後段一項にそれぞれ該当するところ、石田真二ら一二九名に対する各国外移送目的略取、石田真二ら一二九名に対する各監禁、石田真二ら一〇六名に対する各国外移送は、いずれもそれぞれ一個の行為で数個の罪名に触れる場合であり、また、相原利夫ら五名に対する各強盗致傷と石田真二ら一二九名に対する各国外移送目的略取、石田真二ら一〇六名に対する各国外移送と各監禁は、いずれもそれぞれ一個の行為で数個の罪名に触れる場合であり、かつ、石田真二ら一二九名に対する各国外移送目的略取と各監禁との間、石田真二ら一〇六名に対する各国外移送目的略取と各国外移送との間には、いずれもそれぞれ手段結果の関係があるので、同法五四条一項前段、後段、一〇条により、結局以上を一罪として刑および犯情の最も重い相原利夫に対する強盗致傷罪の刑で処断することとし、所定刑中有期懲役刑を選択し、右は、確定裁判のあった前記(一)ないし(三)の罪と同法四五条後段の併合罪であるから、同法五〇条によりまだ裁判を経ない右強盗致傷罪につきさらに処断することとし、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役一〇年に処し、同法二一条により未決勾留日数中九〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部被告人に負担させることとする。

(量刑の事情)

本件は、わが国においてはじめて敢行された日航機「よど」号ハイジャック事件として、社会の耳目を聳動させた事件である。航行中の航空機の不法な奪取が乗務員および乗客の安全を著しく侵害し、航空業務の運営に深刻な影響を及ぼし、航空の安全に対する国民の信頼をそこなうものであることは多言を要しないところであって、その有する実害および危険にかんがみ、ハイジャックは国際的に強い非難を受けており、わが国においても、本件を契機に、昭和四五年の第六三回特別国会において、航空機等の強取等の処罰に関する法律が成立、施行され、ハイジャック防止のための対策が講ぜられた。

被告人の所属していた共産主義者同盟赤軍派がその政治的目標とする世界同時革命、国際根拠地建設の実現を図るために、航空機の特殊性を巧みに利用し、多数の人々を人質にして本件のごとき実力行使に訴えたことは、法治国家においてとうてい許されるものではなく、動機において酌量の余地はない。しかも、その犯行の態様も、判示のとおり、乗客を装って航空機に乗り込み、航行中の航空機内において、婦女子を含む乗客や乗務員の不意を襲って、あらかじめ携帯、準備した兇器を用いて脅迫し、あるいは、ロープ等で縛り、鉄パイプ爆弾による自爆をほのめかせて朝鮮民主主義人民共和国に赴く旨告げるなどして、その反抗を抑圧し、乗客と航空の安全とを最大の責務とする乗務員をして抵抗不能の状態に陥れて、航空機を自己の管理下に置き、約六時間二〇分ないし約八四時間の長きにわたり、機内に監禁し、福岡国際空港を経て、国外に脱出し、その間、乗務員および乗客に極度の肉体的、生理的、精神的苦痛を与え、右ロープ等による緊縛の結果相原航空機関士および乗客四名に傷害を負わせており、さらに、大韓民国金甫国際空港において、乗客とスチュワーデスの身代りとなった山村運輸政務次官を同道して、いまだわが国との国交の開かれていない朝鮮民主主義人民共和国内に移送させて、所期の目的を達成しているのであって、乗務員および乗客に加えた暴行、脅迫は執拗かつ残虐をきわめ、監禁状態のままおかれた乗務員および乗客の恐怖と不安は想像を絶するものがあったと思われる。本件犯行は自己の不法な欲望を遂げるために、なんら咎められるべき落度のない多数の善良な市民に多大の犠牲を強要し、人間の尊厳を踏みにじって顧みない悪虐非道のものというべきであり、法によって厳しく戒められなければならない。

ところで、被告人は、赤軍派が長期間にわたり組織を動員した綿密かつ周到な準備のもとに、本件ハイジャックによる国外脱出を計画し、これを具体化し、実現するに至った過程において、海外派遣要員選出の母胎となるべき長征軍の隊長として、右要員の獲得や掌握等を担い(現に右長征軍の大半の隊員が本件ハイジャックの実行行為者となっている。)、武器入手作戦、資金獲得作戦に関与し、昭和四五年三月一三日および同月一四日に喫茶店「白鳥」等において塩見孝也、田宮高麿および小西隆裕と協議し、本件ハイジャックについての謀議に参画しているのであって、赤軍派の幹部として被告人の占めた役割は大きなものがあったといわざるをえない。もっとも、被告人が同月一五日逮捕され引き続き勾留されたため実行行為に参加できなかったとしても、本件が赤軍派による組織犯罪であって、被告人自らも国外に赴く意思を有し、共同犯行の意識のもとに謀議に参与し、重要な役割を担当していたのであって、被告人は、実行行為者のなした犯罪について、共謀共同正犯としての刑責を免れることができない。

加えて、被告人は、本件当時保釈中であり、かつ、昭和四三年一二月六日東京地方裁判所において暴行、傷害罪により懲役三月、執行猶予一年の判決を受けていること等をあわせ考慮するならば、被告人の刑事責任はきわめて重大であるといわざるをえない。

しかしながら、他方、被告人は、前記のとおり、本件が決行される以前の段階で逮捕、勾留され、実行行為には加わっていないこと、自己のこれまでの行動に反省と批判を加え、今後赤軍派の活動から離れた生活を送りたい旨述べており、また、保釈後、定職に従事して真面目に働き、配偶者を得て、一子を儲けていること、本件と併合罪の関係にある確定裁判を経た罪についてその刑の執行を受け終っていることなど被告人に有利な事情も認められるので、以上の諸事情を含め、本件に現われた諸般の情状を総合考慮し、被告人に対し主文の刑を量定した。

(裁判長裁判官 林修 裁判官 林五平 裁判官 川口宰護)

<以下省略>

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